最近はリヤカーなんてほとんど見たことがない。

昭和30年代、小学生の頃、父親が建具屋をしていた関係で父が作った建具を

ご近所から借りたリヤカーに積んで遠くまで運ぶのをよく手伝っていた。

母と2人で約8キロぐらい先まで(当時は2里と言っていた)リヤカーをおしながら運んで、

父は、後から単車(バイク)に道具を積んで現場に来ていた。

手伝うといっても、帰り道に母の押すリヤカーに乗っけてもらったりするのも嬉しくて

ついていっていたように思う。

少なからず、親の仕事に付き合わせてもらっていたことが懐かしくも有り、

今現在の原点なのかもしれないと思う。

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台風が訪れる時期になってきた。

最近は天候が不安定というか、タイミングがずれているというかよくわからないが、

世が乱れると天変地異が起こり、

安定した世には「吹く風、枝を鳴らさず、雨土くれを砕かず」と言う時代があったと聞くが。

小学生の頃、学校への田んぼの中の通学路が浸水して、学校に行けなかったことが度々あった

1度は床下浸水になったこともあった。

田舎の昔の家は、汲み取り式で外から木製の蓋を取ると便槽がよく見えていた。

汲み取り口の前には母が一生懸命作っていた猫の額ほどの畑があって、

そこに肥料と称して汲みとっては畑に埋めていた。

そんな時、あのトイレの排泄物はどうなったんだろうと思ったりしていたが、

でもさほど気にはならなかった。今考えると相当不衛生と言うことになるが。

でもなんとなく台風が過ぎ去った後、青空が綺麗で、清々しい気持ちでいたのはなんでだろう。

当たり前に季節がやってきて、当たり前のように少しの被害があったが、

いつも通りの生活がそこにはあったと思う。

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時々野鳥の撮影に出かけたりしている。

特に猛禽類を撮影するのが好きだ。

悠然と空を飛ぶその姿に憧れているのかな?

かと思えば、小さな苔の花に魅せられる時もある。

カメラのレンズを極限まで近づけて、その微細な姿を写真に撮るのも素敵だ。

何か憧れるものや美しいと思えるものを目にすると得した気分になってしまう。

趣味と言えば、それまでだが、

野山の道を歩いたり、山を眺めたり、海を眺めたり、夕焼けに心奪われたり。

もちろん輝く星たちにも。

人生には良いものがいっぱいある。

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小学校は1キロメートルほど先にあった。

周りは全て田んぼ、取り入れの終わった稲の藁がきれいに積み重ねてあって、学校帰りの我々の格好の遊び場だった。

大きく積み重ねてある藁束を1本1本抜きながら洞窟を作ったり、抜き取った藁束を投げあったり、綺麗な藁束の山は、みるみる崩されて、何とも好き勝手をしていたものだ。

昭和30年代の秋、今の子供たちには経験のない遊びだろう。

一度、日本刀を持ったおじさんに追いかけられて、こっぴどく怒られた経験がある。

みんな同級生だったが、1番背の高い友達が上級生と間違えられていちばん叱られていた。

ずるいけど、ちょっとラッキーと思った。

あの頃は、周りの大人に、いろんな社会的経験や倫理観を教えられたような気がする。

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ガリレオが土星には耳があると表現。

ちょうど今の時期土星の環が薄くなっている。土星の自転軸の傾き等により環の見え方が変化するためだが、今と同じような時期にガリレオが土星を観察したのだろう。

薄くなったり、見えなくなったり変化することから、土星の環が薄く見え方が変化することを発見したそうだ。

2階天文台にガリレオが当時使っていた望遠鏡のレプリカを展示している。

現代では子供さんが買ってもらえるような安価な天体望遠鏡でもガリレオが使っていたものより良く見えるのではと思う。

先人の逞しさ、卓越した探求心と研究心に感服する。

土星を観察すると、皆さん輪の存在にびっくりされたり喜ばれたりしている。

理屈では、わかっていても、不思議なものだ

土星が空に見えていると、やはり望遠鏡を毎回土星に向けたくなる。

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子供の頃 播磨平野で育った私は遠くに見える入道雲をよく眺めたものだ。おそらくだれもが人の形や動物の形いろんなものに見立てた記憶があるように

時には虹の橋を追いかけてみたくなったり、おそらく誰もが空に何らかの憧れを持っていたように思う

ここ丹波によく来るようになってあまり入道雲を見かけていないように思う
突然の雷雨に見舞われたり最近の天候によるものかもしれないが、どうやら入道雲の下にいるようだ。
爽やかな青空の下に 遠くに浮かぶ入道雲、そんな風景を大切にしたいと思う。

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星の館の営業を開始し、なにか天文台で楽しんでもらえることはないかと思い、もしかすると昼間の星を見ることができるのではと思い立ち、65cm望遠鏡でしし座のレグルスを入れてみた。光ってる!青空の中にまるでダイヤモンドのようにキラキラと輝くその姿に驚いた。キレイだ!すぐ近くにあった火星を導入。おお!赤い、極冠が白い、かすかに模様らしきものまで見える!2重星ミザールさらにきれい。4等星は十分に見える!もしかしたらと思い勇気を出して水星を導入、ワオ!初めて見る半月状の水星が青空の中に!生まれて初めて水星を見た。やはり大口径、長焦点の威力に感謝

現在「星の館」の2階天文台にお越しいただいた方にこれらの昼間の星を見ていただき、そのあと、ドームを閉めて、プラネタリウムまがいの映像もご覧いただいている。お越しいただいた方のなかには、昼間は星は無いと思っておられる方もいる。太陽が明るいので、星は隠されていることを説明し、夜、天の川が見えにくくなっているのも夜間の街灯や無駄な光のためであることなどを話させてもらっている。町ぐるみで星空を大事にされている岡山の美星町の話などもさせていただき、丹波もと願っている。

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星空を初めて見上げたのは、4歳頃のことだった。すぐ近所の中学生「たけのぶちゃん」て呼んでたお兄ちゃんに「上を向いてみて」と言われて見上げた真正面に星がキラキラと光って「え?」と声を出したのを覚えている。昭和30年代の田舎道は漆黒の空だった。「星が7つ、ひしゃくの形に並んでるやろ?」と教えられて、瞬間、驚きよりも、ものすごく「不思議!」と思ったのをはっきりと覚えている。星空にあこがれを抱いた瞬間だった。

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