今年も年の瀬が迫ってきた。

子供の頃、年末になると、両親がいつも餅つきをしてくれていた。

母が庭先に即席のおくどさんみたいなのを作って四角いせいろを何段か積み重ねてもち米を蒸していた。

そのもち米を蒸している匂いがとても好きだった。

父は大きな石臼を出してきて、お湯で石臼を洗って餅つきの準備をして、私は始まるのをワクワクして待っていたのを思い出す。

餅つきが始まると、餅つきの杵(きね)を大きく振りかざして餅を突く父の姿がとてもかっこよく思った。

1回ごとに餅がつき上がると、母が餅を適度な大きさに手でちぎり、それを姉とふたりで手で餅を丸く整える。結構忙しかった。私がやると、シワができたりしてへたくそだったように思う、たまに上手くできると姉や母に自慢したのを思い出す。それを「もろぶた」と言う餅箱にきれいに並べるのも、子供の役割だった。

せいろひとつ分は必ずあんこ餅、つきたてのあんこ餅を食べるのが嬉しかった。

一番最後に鏡餅を作るのは父の役割だった。その姿もやっぱりかっこよかった。

子供の頃は、当たり前のように毎年過ごしていたのが、とても懐かしい。

いつの頃からか、電気餅つき機が家にやってきて、せいろで餅米を蒸したり、石臼で餅をついたりがなくなり、いつの間にか餅つきそのものもやらなくなって、既製品になってしまった。

便利さの代わりに、何かがなくなったような気がするのは私だけだろうか。

「本業は何?」と最近よく聞かれる。

本業は多分、建築士だと思うが、最近はあまり熱が入っていない。ほぼ忘れかけている。(^_^;)

父親が建具屋だったので、中学校卒業したら後を継ぐつもりでいた。

ところが中学生の時にテレビで外国映画を見て題名は全く知らないが、主人公が建築の設計士で、綺麗な女性に「初めて設計したのがでっかいだけの、ただの倉庫だった。でも嬉しくて、一晩中出来上がった倉庫を見ていた」と、そんな言葉を言っていた。なんとなくかっこよく思った。

それで親父を裏切ることに。

貧乏だったので、鼻から大学など行くつもりもなく、工業高校の建築科に入学。

建築科の先生に「設計事務所に行きたい」と言ったら、「お前の成績では無理」と言われ、ちょっと頑張った。

美術部の部長をしていたので、デザイン力があるようにも勘違い(?)され、そこも気に入ってもらって、神戸の設計事務所に入社。

建築士も取って13年間満員電車に揺られて通勤したが、社長が高齢になり、「後を継がないか」と言われて、これ以上満員電車に揺られるのは嫌だと退職。

まぁ、考えてみたら、行き当たりばったりの人生を歩んだのかもしれない。

仕方なく会社を起こし、母親の急逝とその後の父親の高齢化で悩み、福祉事業も行い、現在に至っている。

何か頑張ったのかなぁ?と思うが、あまり大した事は何もしていないと思う。

言えるのはまぁほぼ真面目に生きてきたくらいかな?

中学生の頃、フォークソングを聞くのが好きだった。

せいぜい深夜放送のラジオ程度だったが、勉強してるフリして、深夜放送のヤングタウンやコッキーポップと言った番組をよく聴いていた。

高校生になると少し環境が変わってポピュラーソングをたまに聞くようになった。特にビートルズが好きだと言う友人がいてちょこちょこ聞くようになった。でも意味は今でも全くわからないまま。

髪を伸ばしてギターのコードを弾いて、多分みんながそうであったように、それがかっこよかったように、そんな時代だったと思う。

クラシック音楽にとても詳しい友人がいる。少しばかり年下なだけだが、彼の周りはクラシックが流行っていたそうだ。

流行の歌をよく聞くのは一般的だが、クラシック音楽に造形が深いなんてなかなかかっこよすぎると思う。

ん?もしかして品格の差?なんて思ってしまったりするが、やはり羨ましくもあり尊敬してしまう。

かっこよさにもいろいろある。これからでも私も少しかっこよくなれないかな?

でもおそらく、フォークソングを聞いて、ノスタルジーに浸るくらいしか無理かな?

最近はリヤカーなんてほとんど見たことがない。

昭和30年代、小学生の頃、父親が建具屋をしていた関係で父が作った建具を

ご近所から借りたリヤカーに積んで遠くまで運ぶのをよく手伝っていた。

母と2人で約8キロぐらい先まで(当時は2里と言っていた)リヤカーをおしながら運んで、

父は、後から単車(バイク)に道具を積んで現場に来ていた。

手伝うといっても、帰り道に母の押すリヤカーに乗っけてもらったりするのも嬉しくて

ついていっていたように思う。

少なからず、親の仕事に付き合わせてもらっていたことが懐かしくも有り、

今現在の原点なのかもしれないと思う。

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台風が訪れる時期になってきた。

最近は天候が不安定というか、タイミングがずれているというかよくわからないが、

世が乱れると天変地異が起こり、

安定した世には「吹く風、枝を鳴らさず、雨土くれを砕かず」と言う時代があったと聞くが。

小学生の頃、学校への田んぼの中の通学路が浸水して、学校に行けなかったことが度々あった

1度は床下浸水になったこともあった。

田舎の昔の家は、汲み取り式で外から木製の蓋を取ると便槽がよく見えていた。

汲み取り口の前には母が一生懸命作っていた猫の額ほどの畑があって、

そこに肥料と称して汲みとっては畑に埋めていた。

そんな時、あのトイレの排泄物はどうなったんだろうと思ったりしていたが、

でもさほど気にはならなかった。今考えると相当不衛生と言うことになるが。

でもなんとなく台風が過ぎ去った後、青空が綺麗で、清々しい気持ちでいたのはなんでだろう。

当たり前に季節がやってきて、当たり前のように少しの被害があったが、

いつも通りの生活がそこにはあったと思う。

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時々野鳥の撮影に出かけたりしている。

特に猛禽類を撮影するのが好きだ。

悠然と空を飛ぶその姿に憧れているのかな?

かと思えば、小さな苔の花に魅せられる時もある。

カメラのレンズを極限まで近づけて、その微細な姿を写真に撮るのも素敵だ。

何か憧れるものや美しいと思えるものを目にすると得した気分になってしまう。

趣味と言えば、それまでだが、

野山の道を歩いたり、山を眺めたり、海を眺めたり、夕焼けに心奪われたり。

もちろん輝く星たちにも。

人生には良いものがいっぱいある。

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小学校は1キロメートルほど先にあった。

周りは全て田んぼ、取り入れの終わった稲の藁がきれいに積み重ねてあって、学校帰りの我々の格好の遊び場だった。

大きく積み重ねてある藁束を1本1本抜きながら洞窟を作ったり、抜き取った藁束を投げあったり、綺麗な藁束の山は、みるみる崩されて、何とも好き勝手をしていたものだ。

昭和30年代の秋、今の子供たちには経験のない遊びだろう。

一度、日本刀を持ったおじさんに追いかけられて、こっぴどく怒られた経験がある。

みんな同級生だったが、1番背の高い友達が上級生と間違えられていちばん叱られていた。

ずるいけど、ちょっとラッキーと思った。

あの頃は、周りの大人に、いろんな社会的経験や倫理観を教えられたような気がする。

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ガリレオが土星には耳があると表現。

ちょうど今の時期土星の環が薄くなっている。土星の自転軸の傾き等により環の見え方が変化するためだが、今と同じような時期にガリレオが土星を観察したのだろう。

薄くなったり、見えなくなったり変化することから、土星の環が薄く見え方が変化することを発見したそうだ。

2階天文台にガリレオが当時使っていた望遠鏡のレプリカを展示している。

現代では子供さんが買ってもらえるような安価な天体望遠鏡でもガリレオが使っていたものより良く見えるのではと思う。

先人の逞しさ、卓越した探求心と研究心に感服する。

土星を観察すると、皆さん輪の存在にびっくりされたり喜ばれたりしている。

理屈では、わかっていても、不思議なものだ

土星が空に見えていると、やはり望遠鏡を毎回土星に向けたくなる。

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子供の頃 播磨平野で育った私は遠くに見える入道雲をよく眺めたものだ。おそらくだれもが人の形や動物の形いろんなものに見立てた記憶があるように

時には虹の橋を追いかけてみたくなったり、おそらく誰もが空に何らかの憧れを持っていたように思う

ここ丹波によく来るようになってあまり入道雲を見かけていないように思う
突然の雷雨に見舞われたり最近の天候によるものかもしれないが、どうやら入道雲の下にいるようだ。
爽やかな青空の下に 遠くに浮かぶ入道雲、そんな風景を大切にしたいと思う。

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星の館の営業を開始し、なにか天文台で楽しんでもらえることはないかと思い、もしかすると昼間の星を見ることができるのではと思い立ち、65cm望遠鏡でしし座のレグルスを入れてみた。光ってる!青空の中にまるでダイヤモンドのようにキラキラと輝くその姿に驚いた。キレイだ!すぐ近くにあった火星を導入。おお!赤い、極冠が白い、かすかに模様らしきものまで見える!2重星ミザールさらにきれい。4等星は十分に見える!もしかしたらと思い勇気を出して水星を導入、ワオ!初めて見る半月状の水星が青空の中に!生まれて初めて水星を見た。やはり大口径、長焦点の威力に感謝

現在「星の館」の2階天文台にお越しいただいた方にこれらの昼間の星を見ていただき、そのあと、ドームを閉めて、プラネタリウムまがいの映像もご覧いただいている。お越しいただいた方のなかには、昼間は星は無いと思っておられる方もいる。太陽が明るいので、星は隠されていることを説明し、夜、天の川が見えにくくなっているのも夜間の街灯や無駄な光のためであることなどを話させてもらっている。町ぐるみで星空を大事にされている岡山の美星町の話などもさせていただき、丹波もと願っている。

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